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何度も「三日坊主」を繰り返してきた
私は昔から、何かを始めてはやめる、を繰り返してきました。
日記、運動、勉強、早起き。
始めるときはいつも、「今度こそ続けよう」と思っているのに、気づけば数日で終わっている。
三日坊主という言葉が、まるで自分のためにあるように感じていました。
続けられない自分が情けなかった
続かないたびに、心の中で同じ言葉を繰り返していました。
「どうして自分はこんなに意志が弱いんだろう」
「周りはできているのに」
誰かに言われたわけではありません。
自分で自分を責めていただけです。
それでも、次こそはとまた新しいことを始めてしまう。
そして、同じようにやめてしまい、
また自分を責める。
「続けること」が重くなっていった
いつの頃からか、「続ける」という言葉自体が重く感じるようになりました。
続けなければ意味がない。
続けられないなら、最初からやらないほうがいい。
そんな考えが、頭の中に当たり前のようにありました。
結果として、新しいことに手を出すのが怖くなっていきました。
また失敗するかもしれない。
また自分を嫌いになるかもしれない。
続いている人を見るのがつらかった
世の中には、長く続けている人がたくさんいます。
毎日運動している人。
コツコツ積み上げて成果を出している人。
そういう話を見るたびに、
素直にすごいと思えない自分がいました。
羨ましさと同時に、
「自分とは違う世界の人だ」という距離を感じていたのです。
あるとき、ふと立ち止まった
そんなある日、
また何かをやめてしまったタイミングで、ふと思いました。
「私は、何をそんなに責めているんだろう」
続かなかった事実は変わりません。
でも、それだけでここまで自分を否定する必要があるのか。
今まで当たり前だと思っていた考えに、
初めて疑問を持ちました。
「続けられない=ダメ」という思い込み
振り返ってみると、
私は無意識のうちに、ある前提を持っていました。
それは、
「続けられる人が正しく、続けられない人はダメだ」という考え方です。
でも、その基準はどこから来たのか。
誰かに決められたわけでもなく、
明確な理由があるわけでもありません。
ただ、そう思い込んでいただけでした。
責め続けても、何も変わらなかった
これまでの経験を振り返ると、
自分を責めることで続けられるようになったことは、一度もありませんでした。
むしろ、
やる気がなくなり、
自信がなくなり、
ますます続かなくなる。
責めることは、
何の助けにもなっていなかったのです。
その事実に気づいたとき、
少しだけ肩の力が抜けました。
考え方を変える余地があるかもしれない
「続けられない自分を責める」というやり方がうまくいかなかったなら、
別の考え方をしてもいいのではないか。
そう思えるようになったのは、
何度も三日坊主を繰り返してきたからかもしれません。
失敗の回数だけ、
自分に合わないやり方がはっきりしてきた。
そんなふうに捉え直すことで、
少しだけ気持ちが楽になりました。
「続かない理由」を疑ってみた
三日坊主を何度も繰り返してきた私ですが、
あるときから「なぜ続かないのか」を違う角度で考えるようになりました。
それまでは、理由は一つだと思っていました。
意志が弱いから。
根気がないから。
けれど、本当にそれだけなのだろうかと疑問を持ったのです。
続かなかったものを書き出してみた
まず、これまで続かなかったことを思い出してみました。
日記、資格の勉強、毎日の運動、早朝の読書。
共通点を探してみると、
ある傾向が見えてきました。
どれも「最初から理想を高く設定していた」ということです。
毎日30分運動する。
毎日1時間勉強する。
毎日しっかり書く。
始めるときの私は、いつも少し背伸びをしていました。
最初の勢いに頼りすぎていた
新しいことを始めるときは、
自然と気持ちが高まります。
「今度こそ変わりたい」
「これを続ければきっと良くなる」
その勢いに乗って、大きな目標を立てる。
けれども、勢いは長くは続きません。
気持ちが落ち着いたとき、
設定した目標の高さだけが残ります。
そのギャップに苦しくなって、やめてしまう。
三日坊主は「やる気がある証拠」かもしれない
視点を変えてみると、三日坊主にも別の意味があるのではないかと思えてきました。
何度も始めているということは、
何度も挑戦しているということです。
本当にやる気がなければ、
そもそも始めようともしないはずです。
三日坊主を繰り返してきた私は、
実は「続けたい」と思い続けていたのです。
やめた=無駄、ではない
これまでは、やめた時点で「失敗」だと思っていました。
でも、本当にそうでしょうか。
三日間でも続けたこと。
一週間でも取り組んだこと。
その時間は、確かに存在しています。
ゼロではありません。
完璧に続かなかったというだけで、
その価値まで否定する必要はないのではないかと思いました。
「続ける」をゴールにしていた
振り返ってみると、
私は「続けること」自体を目的にしていました。
続けば成功。
続かなければ失敗。
そんな単純な構図で、自分を評価していたのです。
けれど、本来の目的は違ったはずです。
健康を保ちたい。
知識を増やしたい。
生活を整えたい。
そのための手段が習慣だったはずなのに、
いつの間にか「続けること」だけが主役になっていました。
責める代わりに、観察する
それからは、続かなかったときに、
自分を責めるのではなく、観察するようにしました。
なぜ止まったのか。
どのタイミングで負担を感じたのか。
感情を混ぜずに振り返ると、
改善できそうな点が見えてきます。
回数を減らせばよかったのかもしれない。
時間帯を変えればよかったのかもしれない。
三日坊主は、
「自分に合わない形だった」というサインに過ぎない。
そう思えるようになったとき、
少しずつ「続けられない自分」への見方が変わっていきました。
「続けられない自分」を責めなくなって起きた変化
続けられない理由を、意志や性格の問題として扱うのをやめてから、
私の中でいくつかの変化が起こりました。
一番大きかったのは、
何かを始めることへの抵抗が減ったことです。
始める前から諦めなくなった
以前は、新しいことに興味を持っても、
「どうせ続かない」と考えて手を出さないことがありました。
始める前から、失敗した自分を想像していたのです。
今は、
「続かなかったら、やり方を変えればいい」
そう思えるようになりました。
完璧に続ける前提ではなく、
試してみる、という感覚です。
途中でやめても、落ち込まなくなった
続かなかったときの受け止め方も変わりました。
以前は、
「まただ」
「やっぱり自分はダメだ」
そんな言葉が、反射的に浮かんでいました。
今は、
「ここまではできた」
「この形は合わなかった」
そう整理できるようになっています。
感情の波が小さくなり、
自分との付き合い方が少し楽になりました。
「続け方」は一つではないと知った
世の中には、毎日欠かさず続ける人もいます。
それは素晴らしいことですが、
それだけが正解ではありません。
数日やって、間が空いて、また戻る。
しばらくやめて、別の形で再開する。
そうした続け方も、確かに存在します。
自分に合うペースを探すことも、
続けるための大切な一部だと感じています。
「続けること」より「戻れること」を大切にする
今、私が大切にしているのは、
続けることそのものよりも、戻れることです。
一度やめても、
またやりたくなったら戻ってくればいい。
そう思えるだけで、
習慣はずっと軽くなります。
やめたら終わり、ではなく、
やめても終わらない。
その感覚が、長く付き合うための支えになっています。
三日坊主だった過去も、無駄ではなかった
振り返ってみると、
三日坊主を繰り返してきた時間は、決して無駄ではありませんでした。
自分に合わないやり方を知り、
無理をするとどうなるかを知り、
責め続けても変わらないことを知った。
それらはすべて、
今の考え方につながっています。
続けられない人ほど、優しくなっていい
続けられないことに悩んでいる人は、
真面目で、頑張り屋なことが多いと感じます。
だからこそ、
自分に厳しくなりすぎてしまう。
もしあなたが三日坊主を責めているなら、
少しだけ視点を変えてみてください。
続けられなかった自分ではなく、
何度も始めようとした自分に目を向ける。
そのほうが、
これから先も前を向きやすくなります。
「続ける」は、自分と相談しながらでいい
続けることに、明確なルールはありません。
毎日でなくてもいい。
完璧でなくてもいい。
やめたくなったら、理由を聞いてみる。
合わなければ、形を変えてみる。
そうやって自分と相談しながら進むほうが、
結果的に長く付き合えます。
責めなくなったら、続くものが残った
不思議なことに、
自分を責めるのをやめてから、
自然と残っている習慣があります。
無理をしなくても続くこと。
やらないと落ち着かないこと。
それらは、
努力して身につけたものではありません。
自分を責めなくなった結果、
残ったものです。
続けることに疲れたときは、
一度、責めるのをやめてみてください。
そこから見えてくるものも、
きっとあるはずです。


